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松田利彦 (キックボクサー) : ミニ英和和英辞書
松田利彦 (キックボクサー)[まつだ としひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

松田利彦 (キックボクサー) : ウィキペディア日本語版
松田利彦 (キックボクサー)[まつだ としひこ]
松田 利彦(まつだ としひこ、1960年1月 - )は、日本の男性キックボクサー、現マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟審判部長。埼玉県狭山市出身。
プロボクサーとして韓国IBF世界ジュニアフライ級王座に挑戦した経験もある。
== 人物・来歴 ==
以前から空手に興味を持っていた松田は、高校2年の時に電柱に張られていた道場生募集のポスターを見つけ、空手やキックボクシングを指導する士道館に入門する。入門3か月後に先輩に勧められキックボクシングを始める。18歳でプロデビュー。新格闘術日本フライ級王者になる。第一回格闘技の祭典では林田俊彦とマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟(MA連盟)フライ級王座決定戦にて延長戦の末、判定勝ち、初代王者になる。
25歳でボクシングを始め、士道館が当時設立されたばかりのIBFの日本支部、日本IBFに加盟したのを機にプロボクシングのリングに上がることになる。デビュー戦でIBF日本フライ級王座を獲得。2戦目は敗北。3戦目は勝った方がジュニアフライ級に落として韓国でIBF王座に挑戦するという試合だったが、これに勝利し、1987年7月5日、韓国でIBF世界フライ級王者、崔漸煥に挑戦したが、ボクシング経験の浅い(3戦2勝1敗)松田は4回KOで敗れた〔この世界戦の模様は月刊誌 「ゴング格闘技」 1987年9月号にモノクロ3ページ、カラー2ページにわたって紹介された。士道館の添野義二会長もこの試合に同行した。〕。
その後、キックボクシングに復帰するが、MA連盟バンタム級王者鴇稔之(目黒ジム)との敗戦を最後に引退した。キック引退後は空手選手として空手道の大会に出場しキック、国際式、空手の王者になり三種目制覇を目指していた。その後MA連盟のレフェリーとなり、現在は審判部長を務めてビッグバン〜統一への道〜及びBLADE FIGHTING CHAMPIONSHIPにもスポット参戦している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松田利彦 (キックボクサー)」の詳細全文を読む




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